現役女子大生 白石マーサが斬る!

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現代にあるズレとサムライマインド(笑)な日本人【森友問題】から感ずること

 

皆さんはゲーム・オブ・スローンズという海外ドラマをご存知だろうか。

内容と概要は下記のリンクもしくはググって確認して頂くとして、

 

ワーナーブラザーズ公式サイト↓

https://warnerbros.co.jp/tv/gameofthrones/

 

ワーナーブラザーズ公式サイト(ep1)↓

https://warnerbros.co.jp/kaidora/detail.php?title_id=3789

 

スターチャンネル公式サイト↓

https://www.star-ch.jp/drama/gameofthrones/sid=1/p=i/

 

 

 

 

海外ドラマの(割と熱狂的な)ファンの私が今イチバン推している作品だ。

最近知人に会う度に「何か一つ何でも言うことを聞くから、とりあえず1話だけでも見てくれ」と頼み込むほどオススメしている。

当然ながらこれは罠で、1話さえ見させられたらコッチのもの。アイツは70時間、画面から目を話せなくなる生活に陥る事であろう。ハッハッハッハ〜。

 

この物語には、王様・領主とそれに忠誠を誓う家来や民たちという構図がしばしば出てくる。

いわゆる、〈御恩と奉公〉みたいなものだ。

王様がいるというのはなんだか、一般市民は不自由で堅苦しい生活を強いられていそうだなと思ったりもしたのだが、個人主義的な時代に生きる私から見ると、何だかとても羨ましくも思えてくる。私が剣を抜いて跪き忠誠を誓えば、彼・彼女たちは全力で私を守る事を約束する。私は命をかけて彼・彼女らを慕い、そして彼・彼女らは、実際に守ってくれる。

まぁそれが成り立つ為には、王や領主が"人格者"であるという最重要条件が必要不可欠なのだが。

ドラマではそれはそれは一筋縄では行かず、ご都合主義で生ぬるい他のドラマや映画を嘲笑うかのように目まぐるしく物語は展開され、(一応架空の世界を舞台にしているので)ファンタジーであるはずなのに、見ている私は「あ〜〜現実ぅ〜〜!」と、驚嘆しながらスマホの〈次のエピソードへ ボタン〉を押しまくるハメになる。

 

こういうのを見た後に、最近はめっきり電源を入れなくなったテレビをつけて流れる、森友学園の問題の一連のニュースを見ていると、あぁ、このお偉いさん方は、サムライごっこをやってんのか、と思わざるを得ない。

命(ここでは比喩として使うが)の危機に晒されているお殿様を全力で守る為に、まぁ嘘をついたり、しらばっくれたり、話を逸らしたりと闘っているわけだ。自分では守りきれないとなったら、自死にまで至る。

見てる方も、やってる方も、こんなの茶番だと分かりきっているはずなのに。

 

国会と国民のズレとか、一部の年寄りと若者のズレとか。そういう問題も、サムライマインドでやってこれた世代・世界と、サムライマインドではやっていけない事に気づき始めた世代・時代とのズレによって引き起こされている事が多いのではないだろうか。

日本には殿様も、代々の家系によって決定されるような領主もいないかもしれない。天皇も"象徴"かもしれない。

 

しかし、近代になり、資本主義社会になった世界で、〈御恩と奉公〉の関係が無くなったか、と言われたら、そうとも限らない。

 

国会や官僚という組織の中では、"派閥"という言葉があるように、権力争いが存在するだろうし、その組織の中では〈御恩と奉公〉な関係があるだろう。

資本主義社会における会社では、日本は"終身雇用"というように、社員がある会社に忠誠を誓い、その代わり会社は社員を定年まで面倒を見てやる、といった制度があったわけである。今でこそ終身雇用というと、死ぬ間際まで働かされる足枷、みたいなネガティブなイメージも付きまとうが、本来は、定年まであなたの生活を保証しますよ、ということでもあったはずだ。労働者は会社に尽くし、会社は労働者に利益を還元する。一時は会社がリゾート地に別荘だかホテルだかを所有していて社員は無料で利用出来たみたいな事があった、と小耳に挟んだこともある。

しかし、労働者に還元されていた利益は株主に流れ、リストラで見捨てられる可能性もある。極めつけはブラック企業で、労働力や命までも搾取されることもある。

そんな時代に、根性だの御奉仕だの、上の世代が声高々に掲げている方法論では、どうやら成り立たなくなっているぞ、という気づきが世の中に発生しているわけである。

サムライマインドはもう終わりだ。もう古いのだ。そういう風潮になってきているのを肌で感じる。

 

しかし、この風潮を世界的に見てみると、やっぱり日本は一段階、ワンテンポ遅れているというような気もする。(別に遅れていてダメなんじゃないかという意味ではない)

国というものに縛られずにとりわけやってきたように見えるアメリカもイギリスも、トランプを大統領にしたり、EUを離脱することで、再び〈国〉を求めたわけである。

それを求めたのが、どの年齢・世代なのかにもよって、その解釈は勿論変わってくるだろう。

しかし、「あの良かった時代をもう一度」だとしても、〈御恩と奉公〉は古いとしながらも、しかし個で生きる事の重荷から解放されたいという思いからだとしても、(個としての"人間"ではなく、"人類"とか集団としての)"人間"の狂気が突出してくる時には、たいてい良くも悪くも神話的なリーダーの存在が絡んで来るように、私たちは、個として尊重されながらも個以上の存在でありたいと望む面倒臭い生き物なのだと思わされる。

 

そんな所まで思考がトンだところでテレビの画面に目をやると、国会中継で佐川前国税庁長官が飛び交う質問におんなじ答えを繰り返している。彼が守らされている殿様に彼はそんなに御恩を与えて貰えるんだろうか。立ったり座ったり立ったり座ったり、だんだん気の毒になってくる。

彼の対応を見ているとなんだかとっても皮肉な構造である。

 

2018年3月27日

 

 

 

 

 

 

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