現役女子大生 白石マーサが斬る!

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マスコミとは何か。

 

前回の続きです。

(『まだ「マスゴミ」って言ってんの?マスコミはマスコミであってジャーナリズムでないからゴミにすらならない』

 http://shiraishimaasa.hatenablog.com/entry/2017/12/15/213233 )

 

 

そもそも、「マスコミ」とは何なのか。

 

青春キラキラ期と、一般的に最盛期と言われがちなこの時期を、魅力度ランキング最下位県と愛着度ランキング最下位の県で生きることを強いられている20代前半の女がせせポン(そう、せせりポン酢)をつまみながら考えてみる。

 

前回の記事では、

マスゴミ」とはよく言われたものだが、マスコミはマスコミであってジャーナリズムでないからゴミにすらならない、という事を書いた。http://shiraishimaasa.hatenablog.com/entry/2017/12/15/213233

マスコミは自らマスコミと名乗り、我々の望む議論の土俵に立つことすらしていない。マスコミに対して私は諦めが浮上している。しかし、それは消極的で受動的な諦めではない。という事を書いた。

 

 

「マスコミ」は「マスコミュニケーション」の略である。似たような言葉で「マスメディア」もある。

この「マス」とは大衆のことだから、我々一般市民の為のコミュニケーションでありメディアだ、そう思いたくもなる。

だが、残念なことに、このコミュニケーションは私たちの為のものでも、私たちが本来望むようなジャーナリズム的な情報のやり取りを指すのでもないようなのだ。

 

ジャーナリズム・ジャーナリストというと"記者"という人々が思い当たる。組織というよりは独立した記者がいて、彼ら彼女らが集まって団体が出来ている。人脈を駆使して問題に切り込むことはあっても、しがらみを振り切り屈せずに発信し続ける。そんな理想像がある。

しかしマスコミというとどうも実体がない。マスコミというのは独立した個人の集合というよりも、大きな組織であって、その組織のために個人が動く。「マスコミ関係者」などという曖昧な言葉をマスコミが使っていたり、マスコミのマスコミ批判をマスコミがしていたりするとマスコミはマスコミであることを自覚していないのではないかと時々心配になる。当事者意識が無いのだ。

 

じゃあ、マスコミをマスコミたらしめているその組織とは何かと考えると、TV・新聞・週刊誌ももちろん挙げられるだろうが、ここに、広告代理店なんかも入ってくる。

TV・新聞・雑誌などはジャーナリズムの要素はあれど、広告というのはいささかジャーナリズムとはかけ離れているように思われる。

広告というのは、企業から一般市民へのメッセージを媒介するものであり、広告代理店はこれを担っているわけである。

つまり、ジャーナリズムとマスコミの違いを考えた時、この部分が大きな意味を持ってくる。

 

マスコミは、一般市民のためにジャーナリズムを提供したいのではない。自分たちにお金を落としてくれる企業から託されたメッセージを我々に届けられさえすれば万々歳なのだ。

 

はーあ。マスコミを見て真剣にイライラしてたなんてアタシばっかみたい。おかけで、テレビ見てイライラしながら食べたお菓子の袋がこんなだわ。

 

私は「諦め〜〜」とテレビの前に仰向け大の字で寝そべったわけだが、さぁ、これからどう起き上がろうか。(もちろん正確にはせせポンを食べ終わり今はポテサラを食べているので脳内マイルームでの話だ)

 

しかし、何回か言ったように、これはネガティブな諦めではないのだ。

そもそも「あきらめる」とは、一見ネガティブで消極的行為に思われがちだが違うのだ。「明らかにする」これが、諦めるの本来の意味であるらしいのだ。そうだ、そうなのだ。

 マスコミはマスゴミになる土俵すら持ってないのでマスゴミと批判するのはナンセンスなのだ。有限である私たちの貴重で大切な時間とエネルギーをそこにかけるのはもったいないと明らかになったのだ。

 

世の中にはマスコミよりも目につかない所でジャーナリズムをやってる人々が多くいるに違いない。もっと良質なものがこちらに届かない所にたくさんあるはずなのだ。

人の目に届くということが、どれだけ大きな事かというのは、マスコミ・企業があれだけの金と時間と労力を広告やマーケティングに費やしてることからよくわかる。

悪いものが評価し続けられることはなくても、良いものが評価されないことがあるというのは、芸術学部という胡散臭い場所にいると目の当たりにしっぱなしなので非常に良く理解している。

 

私たちは、情報過多の時代に生きているということは、選択するだけの余裕があるという事だ。つまり、私たちが真に望む情報を提供してくれる人々を見つけ、そこにサポートを注げばいい。そして、マスコミというゴミにすらならない曖昧なものに見向きもしなければいい。

 

受け身の時代は終わったのだ。

人間は、持っている情報量が多くなるほど、持つ権力も大きくなるという歴史を生きてきた。これから一般市民の持つ情報量と質がどうなっていくのか。変化が起こりつつあるのは、皆さん実感を持ってご存知のことでしょう。

 

マスコミ、今まで通りだと思ったら、いずれ痛い目を見んぞ。

 

 

 

 

 

 

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