現役女子大生 白石マーサが斬る!

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【大相撲暴行事件】現代の人間社会において、会話中のスマホいじりは"挑発"

 

「現代の人間社会において会話中にスマホをいじるという行為は挑発行為に相当する」(出典:白石ウィキペディア)

 

 

攻撃的な暴力というのは、いささか動物的であるという印象を受けるが、どうやら当の本人たちは手当り次第に攻撃を仕掛け、しょっちゅう喧嘩ばかりしている訳でもないらしい。

血を流すほどの攻撃は、自分や仲間や子供の命、ナワバリを守る為や、子孫を残す為のライバル争いなど、生命活動における重要な局面で行われる。

その争いは、自らの命を繫ぐ捕食活動以外、他者からの何かしらかの挑発があり、それを受ける事で初めて成立する。挑発する方はもちろん、「コイツならいける」「コイツなら挑発しても問題ない」と思う相手だから仕掛けるわけで、受ける方は、相手が自分には及ばない「かかってこいや 」となれば受けて立つし、自分の方が弱いと思えば、何かしらを犠牲にしてその場を去るしかない。

そう考えると、世間様の大好きな理性的であるという事は、人間よりも動物の方が余程理性的で合理的なんじゃないかというような気もしてくる。

 

現代の人間社会において、人が話しているのにスマホをいじるというのは挑発行為に当たる。少なくとも白石ウィキペディアには、そう集合知として記されている。

それがわざとでも、わざとでなくとも、受け取る方はどうも「ピピピッピピピッ!挑発されています!ピピピッピピピッ!」と警告が流れるシステムになっているわけである。

例えば「ウホッウホッ」と言いながら胸を叩く仕草が挑発行為の動物がいるとする。そいつの前で、いくら出会った喜びを表現する為だったとしても、いくら敬意を表すためだったとしても、「ウホッウホッ」っと胸を叩きながらそいつの前に飛び出して行ったら、大腕をブンと振り下ろされて、グチャッである。そういう時は、余計なことをしないとか、距離を置くとか、適切な振る舞いを知っておくとか、誤解を解くとかするしかない。

しかし、そんないきなり殴らなくたってコミュニケーションをきちんと取るべきだった、そうすれば分かるはずだと言われたって、仮にも挑発されている訳だから、話を聞いている余裕なんかある訳がない。自分が脅かされてますよと、警告アラームが流れちゃってるんだから。

日馬富士も流れちゃってたんだろうな、警告。と思うわけである。

 

ロバート・B・チャルディーニは『影響力の武器-なぜ人は動かされるのか』の著書、「カチッ・サー」のページで、動物行動学者たちによると「多くの種で規則的で盲目的な、機械的な行動パターンが確認されている」と述べている。例えば、七面鳥の母鳥に、ピーピーと泣かない雛鳥とピーピーと泣く天敵であるイタチの剥製を近づける実験がある。すると、母鳥は泣かない雛鳥を虐待したり殺してしまったりするが、ピーピーと泣くイタチには近づくことを許し抱きしめ大切にしたという。ここで分かるのは、母鳥は、ピーピーという鳴き声一点において子育てをする判断をしているのであって、その対象の見た目や内容には関係がないという事である。つまり、「カチッとボタンを押すと、その場面に適したテープが動き出し」「サーッとテープが回って一定の標準的な行動が現れる」のだ。

 

今回の事件はしばしば、日馬富士貴ノ岩、加えて白鵬の関係性から、指導教育における暴力と見なされ語られがちという印象を受ける。平成の今になってまで、体罰でしか解決出来ない昭和脳の典型だとし、道徳の教科書の百番煎じみたいな意見ばかりでうんざりする。

 

私はもっと、根本的な人対人の、もっと言うならば生き物対生き物の、暴力だったと睨んでいる。

 

白石ウィキペディアを見てみると、若者の間でも、つまり"昭和脳"ではなく"平成脳"の間でも、やはりスマホ問題というのは根深い。

こっちが真剣に話していたり、相談しているのに、何がそんなに気になるのかスマホをいじり出すヤツというのはいる。向こうが相談を持ちかけてきたとして、こちらが真剣に聞き、意見を求められたのでこちらが話し出した途端、スマホを見出すヤツというのもいる。また、女うちでは「この前デートしたんだけどその人ずっとスマホ見てたの」と落ち込むヤツも、「スマホ見てるなんて男としてというか人としてサイテー!」と怒り出すヤツもいる。冷静なコチラとしては、「次行く場所の地図を調べていたのではないか」「電車の時間を調べてくれてたのかもしれない」「職場から緊急の連絡があったのかもしれない」と、その子に非がある以外のありとあらゆる可能性を提示することは出来るのだが、当の本人は周りがなんと言おうと「私が取るに足らなかったんだわ…」と落ち込んでしまう訳である。

 

 人が話しているのに、目の前でスマホをいじられて嬉しいな♪と言ってるヤツに私はまず出会ったことがない。

それは、対面した相手の意識が自分ではない何かに向けられていると感じた瞬間、自分は尊重されていないという不安感が煽られるからである。

そもそも挑発行為は、コイツなら問題ないと思うから取る行動であるし、それを受け入れ反撃するのは、自分の強さや、尊重されるべきだとか、威厳など、正当性を持っているとか思うからである。

だから、貴ノ岩に至っては、挑発行為をしたらまんまと反撃を食らっちゃったわけであるし、日馬富士はその挑発にまんまと乗せられてしまったわけである。

 

ただ、日馬富士にも大人気(おとなげ)の無さはある。それは、何も暴力を奮ったその事自体ではない。自分の思うようにいかない人間を自分の思うようにしないと気が済まないという、自分と他者との境界線の線引きが出来ていなかった事による。まるで、思うように積み上がらない積み木を「んんんあーー!」と床に叩きつける赤ん坊のような、そんな幼稚さが垣間見える。

 

私は、ある関係性の中で起こった出来事には両者共に少なからずの責任が発生するものだと考えている。(しかし例えば、拉致レイプ等はこれに当てはまらない。これには因果はあっても両者に関係性はないから)

つまり、この事件にも、被害者・加害者というラベリングがされた所で、両者の本質的な責任はフィフティフィフティなのである。

しかしこれは、暴力という目先のわかりやすい出来事だけを追っていたのでは、到底解明出来っこないのである。

 

 

 

 

 

Twitter→白石マーサ( @shiraishimaasa ) https://twitter.com/shiraishimaasa?s=09

 

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