現役女子大生 白石マーサが斬る!

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肯定される暴力

 

ある日、一人暮らしのアパートに帰ってくると、鍵が開いていた。

「あれ?閉めたはずだけど…閉め忘れたかな?」と思い部屋に入ると、見知らぬ人間が部屋を漁っている。

空き巣だ。

私に気づいた犯人は警察に通報されるのを恐れ、殴り掛かってくる。私はそいつの頭を掴んで抵抗したいと思う。が、ここでよぎる。

 

「どんな理由でも暴力はダメ」

「手を出した時点で、犯人と同じレベルに人間が下がる」

 

私は殴られ続け、手持ちの金銭も全て失う。

ギリギリで駆けつけた警察が、拡声器を手に犯人の前に立ちはだかる。

あぁ助かった。

警察は犯人に告げる。

「止まりなさい!」

「盗みも暴力もいけない事です!」

私は警察に訴える。「そいつを取っ捕まえてください!」

警察は拡声器を下ろし、びっくりした面持ちで私に言う。

「それはできません。暴力はいかなる理由であってもいけない事なので。今ここで捕らえる為には犯人を押し倒す必要がありますが、その場合犯人が負傷する恐れもありますし、無傷だったとしてもそれは立派な暴力になってしまいます。相手は人間です。話せば分かるはーーー」

そうこうしているうちに、犯人は警察の横を走り抜けていく。

警察は「止まりなさい!」を繰り返す。

遠くなって行く犯人の後ろ姿…

力つき横たわる私、と現実の私「まじで?しんどい」

 

あまりにも世の中が「どんな理由でも暴力はダメ」だと言うもんだから、私も「どんな理由でも暴力はダメ」という設定でロールプレイングしてみた。独りでやった割にはなかなか迫真の演技だったんじゃないか。

………死んでたらどうするつもりなんだ。

 

 

少し前にツイッターで話題になっていたが、スーパーマーケットで老人に痴漢された女子高生が、犯人に「死ねよジジィ!」と回し蹴りを食らわし、犯人は現行犯逮捕される、ということがあったらしい。よくやった、と女子高生を賞賛する声もあったが、同量に、彼女を批判する声もあり、少々議論が巻き起こされていた。批判する方の言い分は、老人なのに倒れて本当に死んだらどうするんだ、暴力で片を付けなくてもよかったはずだ、ということらしい。こっちのセリフだ、って感じだろうな、その子。

 

暴力といっても、いくつか種類がある。

冒頭のあの素晴らしいロールプレイングを読んで、いやいやそれは極論にすぎない、いかなる暴力つったって、時と場合によるでしょう、と恐らく誰かしらが思ったのが証明しているように、同じ暴力行為でも、その文脈によって変わってくるのだ。

 

ヴォルター・ベンヤミンは『暴力批判論』の中で、「神話的暴力」と「神的暴力」について述べている。「神話的暴力」には「法措定的暴力」と「法維持的暴力」があるとしているが、例えば警察が施行しているのが「法維持的暴力」でろう。これは秩序を守るためなどに使われる。一方痴漢を撃退した彼女のふるった暴力は、「神的暴力」のほうである。これは、やむにやまれぬ暴力だ。内部から湧き上がるもので、冒頭で私が使いたかった暴力でもある。

 

肯定される暴力がある。これは紛れもない事実である。

 

先日述べたアンパンマンも(→ http://shiraishimaasa.hatenablog.com/entry/2017/11/24/154553  )、アメコミのヒーローもスターウォーズもそれを描いているし、私たちの方も、これは一見暴力であるが許される、必要な暴力なのだと言う前提で受け入れている。

 

だから、暴力を一緒くたにまとめて何が何でもダメだと言ってしまうのはおかしい。

 

 

しかし、その線引きと言うのもまた難しい。

例えば、今ある「法維持的暴力」から自由の為に「神的暴力」で立ち上がり、「法措定的暴力」で戦って自由を勝ち取ったとして、今度はこっちが「法維持的暴力」を施行する番になる。この「法維持的暴力」がなければ自由を勝ち取った我々の秩序は保たれないから、厳しく施行していかなければならない。しかし、その限度が度を超す危険性が全くないわけではない。

それを描いているのが、『時計仕掛けのオレンジ』であろう。私は原作は読んでいないので映画での話になるが、社会が不良少年である主人公アレックスを更生させようとする仕打ちは、アレックスと同等かそれ以上に過激なのだ。




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犯罪を減らす為にはどうするのか、防犯に力を入れるため一般市民を監視するという暴力を使うのか、再犯を防ぐため罪を重くするという暴力を振るうのか、それとも北欧みたいに更生に力を入れるのか。いいやいっそのこと、犯罪者に電流のながれるチップでも埋め込んで、また罪を犯しそうになったらビリビリッとやってしまおうとかいう暴力を使うのか。

 

暴力は全て反対。というのは恐らく、手っ取り早いのだろう。とても簡単で楽なのだ。一見いいことを言っているようで、ある意味考えることを放棄しているとも言える。

果たしてそれでいいのか。それはそれで危険ではいやしないか。それとも私が考える快感の為に考えたいだけの話なのか。

いいや、違う。私たちは、暴力の上に成り立っていることを認めなくてはいけない。そして暴力を目の当たりにした時、その種類を極める目を持っていないといけないのである。

 

 

 

 

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