現役女子大生 白石マーサが斬る!

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座間9遺体事件の本当の恐ろしさ(2) 白石容疑者について

 

狂気を異常なモノとして切り捨てたり、社会の歪みだとして無理矢理修正しようとしたところで、何の解決にもならない。

こういう事件が起きる度に、狂気の元凶を見ようとしないですぐに排除したがる人間を見るといつも言ってやりたくなる。

「お前、何怖がってんの?」

そういう奴は決まって、こんな近くにこんな恐ろしい奴がいるんだもの怖いに決まってるわ、なんて抜かすのだろう。

違うだろ、お前が恐れてんのは。

たまたま表出してきた"外"にある狂気や歪みを切り捨てたところで、お前を含む人間が、そのお前を含む人間が生きている世界の狂気が、無かったことになる訳じゃない。何を今更恐れてるというのだ。元々ある狂気を無意識下に押し込め、無かった振りをしているだけで、そこには確かにある。押し込めている理性なんてたかが知れてる、ということを我々はどことなく知っている。それを証明するかのように、狂気を目の当たりにして無意識的にヤバいと思ってるのがお前なのだろう。だからそんなに騒ぐのだろう、と思わずにはいられない。確信に迫る図星を突き付けられて慌てて口数が多くなってるペテン師みたいになってんぞ。

そういう奴らはそんなことを言っておきながら、こういった事件の犯人に自らの狂気をも託し、犯人を処理することで、託した狂気も一緒に処理したつもりになっている。犯人という狂気を抑圧することで自らの狂気も抑圧する。そういう儀式みたいな、祭りみたいなものだなと、見ていて思う。

 

容疑者について考えてみる。

 

未だ白石容疑者の供述は2転3転しており、事件の全貌を把握するのは長期間かかりそうだと言われている。

しかし、私は何ら不思議には思わない。何故なら、彼自身すら「分かっていない」のだ、と私はみているからだ。彼自身もなぜ自殺願望を抱き、なぜ他殺へと至ったのか分かっていないのではないか。そしてそもそも、その"何故"が分かっていれば、今回のような事件は起きなかったのではないかと考えている。

 

容疑者の供述では、金銭目的だったとか暴行目的だったとか、たぶんアニメが好きだったかも知れませんとか、言われている。臓器密売じゃないかという憶測も飛んでいる。が、もしそういう動機の犯行だったら、供述をコロコロ変えず計画段階からそこまで作りこんでいたはずだ。金銭目的にしろ、効率が悪すぎる。

私はどうも腑に落ちないのである。

 おかしな話だが、まだ、「人助けがしたかった」とか「望みを叶えてやったんだから感謝されるべきだ」とか言ってくれた方がこちらとしても納得できるってものだ。

 

そういった視点から見てみると、一見よくある猟奇殺人事件の類にも見えるこの事件から、それらとは違った生々しさが漂ってくる。

このニュースを初めて聞いた時、私は、私の知るシリアルキラーのイメージが頭に浮かんだ。殺す事が快感で、自分の殺害手口に誇りを持ち、注目される事で英雄の様な感覚に陥り、全てを意気揚々と語る。もしくはなんてこと無さそうに淡々と振る舞う。

しかし、報道のカメラに映った白石容疑者は、顔を隠す。大抵の猟奇殺人犯は注目を浴びることは何ら気にしないと言うが、彼はぐっと顔を押さえている。

彼の育ってきた環境も、両親の別居問題はあれど、近所でも普通の評判の父親と共に生活しており、学生時代は特段目立たずとも真面目だったという。

大抵の猟奇殺人にまで至るようなサイコパス性を孕んだ人物というのは(もちろん生まれ持った性質というのもあるかもしれないが)、幼少期の虐待などの過酷な生育環境とセットで語られる事が多いが、今回は私の知る限りそういった情報は出ていない。

 

にも関わらず、彼は苦しみを抱えていた。

彼は当初、彼自身が自殺願望を抱えていたという。しかし、第3者が理解できるような自殺願望に至る理由は分からない。そして、彼自身も分かっていないのだ。

ここから、普遍的な事象が抽出されてくる。

何が理由か分からないけれど死んでしまいたいほど苦しみ。これは、現代が抱える心身症みたいなもので、ある種、近代以降に生きる我々にとって普遍性を持っているといえる。

 

そもそも人が死にたいと思う時、人は「わからない」という状況に立たされているように思う。頑張る理由が分からない、私という人間が分からない、生きている意味が分からない、自分が苦しんでいる理由すらも分からない。そこにあるのは、ただ、ずんとのしかかる苦しみと、死んだら解放されるのだろうか、という僅かで微かな憶測だけである。そして、それが内に向かうか、外に向かうかの違いだけである。内に向かった場合、自傷することで苦しみを可視化し束の間の安心を得るとか、最悪の場合自死に至り、外に向かった場合、それは狂気となり表出してくる。

この狂気は、人間に一見理解し難い行動をとらせる。

映画作品で例を挙げるならば、『アメリカンビューティー』『ファイトクラブ』『マルコヴィッチの穴』などが、これらの狂気を描いているといえる。これらの作品は、近代化以降、理性でしか説明のつかない世界で生きる我々が抱く「不全感」という苦しみを取り扱っている。そして、殴り合うこと(ファイトクラブ)や、人の頭の中に入り込むこと(マルコヴィッチの穴)など、一見理解し難い狂気とも取れる行動を通して、意味付け出来ないものに触れようとし、「不全感」を克服しようとする。意味というのは理性の領域のものだ。似たような苦しみに「欠落感」があるが、これは足りないものが明確でわかりやすい。金が無いだとか、恋人がいないだとか、苦しみの要因となる欠けているものが明確で、どうすればそれが満たされるかも検討がつくし、他者から見ても自分自身も納得しやすい。だから、我々は銀行強盗の映画も、愛ゆえに犯した殺人の物語も、理解し、共感することができる。

しかし、「不全感」という感覚も確かに存在する。その証拠に、先に挙げたこれらの作品は映画界にセンセーショナルを巻き起こし、名作の仲間入りを果たしている。これだけ支持されているのに理由が無いわけがない。

 

つまり、白石容疑者が抱いていた自殺願望というのはこの「不全感」から来るものなのではないだろうかと私は考えるのだ。

 

では何故、彼の自殺願望は他殺へと向かったのか。それはコントロールの感覚と関係があるように思う。

人はコントロール出来ない物事に出くわした時、苦しむ。

人間関係も仕事も、人が悩み苦しむ時、自分が思う理想と目の前の事象にギャップが生じている状況を、すぐに自分でコントロール出来ないから苦しむ。

しかし、人間関係や仕事などの具体的な事象の場合、可能性がある。私とAの関係を良好にする場合、また仕事を上手くこなしたいと思う場合、アプローチの仕方を変えてみるとか、自分の考え方を変えてみるとか、周りの人を巻き込んでみるとか、環境を変えてみるとか、自分で自分や状況をコントロールできる余地がある。

しかし、これらは全て、私という存在が存在していいのだという、自分と世界への信頼と確信が前提になっている。この信頼と確信が失われ、その喪失の具体的な理由がわからない時、人は死というものを考えるわけである。そうなると、状況のみならず、自分自身すらコントロール出来ない、というもどかしさと無力感に苛まれる。

しかし、自己のコントロール、すなわち己を支配しているという感覚すらない状況で、人の生死という世界で最大の事象をコントロールする感覚。人の命を支配する感覚。それが彼を延命措置のように生かしていたのではないか。

 

私はそう、この事件における白石容疑者という人物から普遍的な人間の狂気を見ている。

 

 

 

 

 

 

 

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