現役女子大生 白石マーサが斬る!

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衆議院選挙、投票を前に。

 

2017年10月20日(金)19:43

私は未だ、戸惑いの中にいた。

 

今まで誇りに思っていたご自慢のモノが、実はかつての勝負で負けたペナルティとして去勢されていて、それを素晴らしいモノなのだと調教され、喜んで見せびらかしていただけだったのかもしれない。自分で見つけ出し、勝ち取ったと思っていた金のメダルが、実はそう思い込むように仕組まれただけのコインチョコだったのかもしれない、と疑念をぶつけられているような、そんな戸惑いである。

 

夏になると戦争という過ちを憂い、しかし、今の日本には素晴らしいモノがある、と平和憲法を讃える。物心ついた時には、そういったテレビ番組や授業や映画に囲まれていて、平和憲法は日本人としての無意識にのみならず、アイデンティティとして私の中に刷り込まれていた。

だから、憲法改正なんて唱える人物は、なんて野蛮で好戦的なのだろうと、憲法は守られるべきだと盲目的に、それがあたかも本当に自らが導き出した意見かのように、胸高々に宣言してきたわけである。

 

しかし、そのアイデンティティが崩れようとしている。言わば再構築の時期にあるのだなと、自らを思う。

 

この歳になって初めて、柄谷行人江藤淳の著書の一節を読んだ。これによって私の盲信は打ち砕かれ、初めて自分の眼で見る世界に投げ込まれたかのような感覚とある種の目眩に陥った。

そして私が、憲法は何がなんでも護られるべきだと盲目的にしがみついてきたのは、本当に憲法のことを考え尽くしたからではなく、ただ何か今の均衡のとれた生活を失うかもしれないという恐れ、それのみならず、あの憲法が変わってしまったら、今まで信じてきたアイデンティティの否定に繋がってしまうかもしれないという恐怖と弱さから来る焦りだったのかもしれない。

 

そう考えると、これは、例えば親子関係における、依存から自立へのプロセスに近いところがありそうだ、なんてことも思ったりする。

私は、憲法という"親"から距離をおいて見つめることで、クリアに自分と世界を見つめ、初めて、自らの眼を通して入れ込んだ情報を自分のアタマで考えることになるのだ、と。その上で、新しい価値観を構築していくのか、それとも"親"の価値観を愛していくのか、そのどちらもなのか、どちらでもないのか、選択していくことになるのだろう。

 

そんな戸惑いの中、住民票も移しておらず、不在者投票の手続きも間に合わなかった詰めの甘い私は、往復4時間3000円をかけ、あの一瞬の為に、寒さ際立つ地元の最寄り駅に降り立ったというわけである。

 

 

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