現役女子大生 白石マーサが斬る!

ハイボールが好きです。ご連絡等は shiraishimaasa@gmail.com まで。

国会、小学生の学級会の方がまだマシ

 

政治をやってる大人たちは若者をナメているし、若者は政治をやっている大人たちをナメている。

国民国家は、主体=国民、客体= 国民 であるはずなのに 主体=国民=客体 という図式ではどうやらないらしい。この2つの国民の間には大きな隔たりがあり、お互いが自分たちの活動には必要の無いものだと思っている。お互いに舐め腐って関係ないと思っているから、余計にナメ合うハメになるという始末だ。

 

"共謀罪"や"テロ等準備罪"と呼ばれる法案が"強行採決"によって可決された。

これを聞いた時に催した私の感情は、安保法案が強行採決された時と同じようなものだった。

当時は、もちろん自分の思想とかそういうものから来る動機もあったが、世の中がこんなにも"政治"で熱くなっているのは、その熱さを実感をもって捉えられたのは、自分としてはその時が初めての経験で、TVのニュースやネットの国会中継にかじりついていた。

しかし人々があれだけ注目していた中で取られた行動に私は唖然としてしまった。

部屋に人がバーッと流れ込んできて、人がごちゃごちゃっとなった中で、もちゃもちゃっと誰かの声が聞こえたと思ったら、後ろの方で与党議員がバンザイをしている。はい、決まり。という事らしかった。

 

「小学生の学級会の方がまだマシ」

 

そんな印象だった。国民が絶対に見ることのない場所で実はこんな事が行われていました、というならまだわかる。しかし、メディアを通じて世の中に一連の様子が発信されているのに、ああいうふうに事を運ぶ。

やってしまった者勝ち、ヤり逃げ、というわけである。片や、ヤり逃げしたり当て逃げしたり、一時の弱さ故の不適切な行動で謝っている芸能人がいて、彼らは個人的な事情について説明し、世の中を説得させなければいけないのに、この国の全員に関わるような話はこれで済まされてしまうのか。不審感を抱いて何がおかしい。不審だし不信だ。

 

安保の時も今回の問題も、なされる議論において微妙なズレがある。

法案に賛成している方は法案自体について語っている。それに対し、反対している方は法案だけでなく法案を扱う"人"について語っている。

賛成側は、この法律は必要だとか、何らおかしな点はないとか言っていて、反対側は法案自体というよりも与党のやり方について疑問を抱いている。賛成側は法案自体について語っているから、反対側の意見も法案自体についてのみの言及と見なされ、共謀罪だの言論の自由が脅かされるだの戦争になるだの、話が飛躍しすぎだろ文章読めないのかこの馬鹿が、と言っている。対して反対側は、こんな強行採決をやるようなヤり逃げするような卑怯な奴らが、どうにでも解釈出来る法律を持ってしまったら、またもっと大きなヤり逃げをしかねないぞ、という警告を呈している。しかし賛成側は、何としてでも法案を通したいから読解力がないと見なしている反対側の意見を押し切るので、そのスタンスを見ている反対側としては、ほらな!やっぱり危ないぞ、とさらに不審感を募らせていく。

噛み合っているようでか噛み合っていない。ズレを感じてもどかしい。

 

安保法案の時、あの小学校の学級会が国会議事堂で行われた翌日、もちろんそれはニュースで取り上げられたわけだが、私がいちばん恐れを抱いたのは、ここだった。

私が"生の実感"をもって体感したあの出来事が、TVのニュース番組では局の立場によってニュアンスが全く異なって伝えられ、ネットでは議員たちがもみくちゃになっている映像が出回り、文脈を離れ、面白動画としてコラージュされ、中継を見ていれば明らかにデマとわかる捏造されたストーリーが何万と拡散されていく。中継を見ていれば何が真実か一目瞭然であるのに。もちろん人によって正義は違うのかもしれないが、事実を事実のまま持っておくことは出来る。

しかし、一体誰が夜中の中継を見逃すことなく最後まで見届けられる?一体何人の人が見るというのだ?

あぁ、あの大人たちはそれを見通していてこちらを馬鹿にしていたのかと、その時気づく。

国会の外にいる国民も、あんな大人げないものを見ててもしょうがないと馬鹿にしている。 その悪循環にある。

 

最近、ネットや周りで「すぐ政治の話する人嫌い」と言う同世代をよく見かける。

彼らにしてみれば、自分の日常生活にいっぱいいっぱいで政治なんかに構ってられない、ということらしい。政治によって日常生活を営む基盤が保証されて初めて日常生活がまかなえるのに、日常生活に手一杯で政治に参加出来ない。だから、自分たちの声が届くことはなく、故に手一杯の生活が改善されることも無く、日常生活は余計に手一杯になって、政治に興味を持つ余力もない…というジレンマがここにある。

 

当の私はというと、今回の問題で採決が取られるという日は、行きたくもない苦手な大人数の飲み会に狩り出され、目の前のサラダを取り分けるべきか否かで頭を悩ませ続けていたというのだから、なんとも情けない話である。

 

 

白石マーサTwitter→( @shiraishimaasa )

https://twitter.com/shiraishimaasa?s=09

ご連絡はこちらまで→ shiraishimaasa@gmail.com