現役女子大生 白石マーサが斬る!

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人類平和の為に戦争は反対という偽善

 

「あなたは戦争に反対か?」そう問われたら、私は間違いなく「当たり前だろ!」と答える。

しかしその理由は、何も、平和な世界は素晴らしいとか、話せばわかるとか、全ての人間が手を取り合って平和な世界へとか、そういう嘘臭い偽善的な理想から来るものではない。

ただただ、戦争が起こったら、私の生活はより面倒臭くさくなりそうだし、ご飯だっていっぱい食べたいし、ぐっすり眠りたいし、近しい人が死んだら嫌だし、そういう面倒な色々に私を巻き込まないでくれ、という理由でしかない。

だから逆に言うと、もし仮に、私のこれまでの生活が完全に保証され、私自身に何ら影響がないと約束された上で、世界で戦争をやりますと言われれば、「あぁ、まぁ、そうですか」くらいにしか思わない自分がいると思う。

 

人間には間違いなく闘争本能というものがある。スポーツにしてもゲームにしても、過激な芸術作品にしても、世の中に存在し、受け入れられ、評価されている時点で、その存在は決定づけられている。

しかし、自分において考えた時、私の中には暴力的な闘争本能というのがなかなか見つからない。

だから私、良い子なんです〜。というアピールでは決してなく、見つからないのか抑圧されているのか、そういうものに全く興味が持てない。

高校までの学生生活で、スポーツをやるのも観るのも「疲れるな」「面倒臭いな」という理由で、積極的に参加したことはないし、小学生の頃までは熱中していたTVゲームも、「疲れが溜まるな」という理由で次第に魅力を失っていった。

最初は、そういうものに熱狂している人間を、文系インドア派特有の斜に構えた発想で馬鹿にしていた時期もあった。

 

しかし、ある時、気づいた。

 

ある日行った、水族館の水槽にいたある魚。そいつは、他の群れから離れて水槽の隅でじっと漂っている。

またある日行った動物園では、檻の中で走り回る動物達の中、ある1匹が、ただただ1点を見つめて呼吸だけしている。

私は人間だから、その間思考を巡らし、それを文章で表現したいという自我が芽生えただけの、あの動物達と一緒なのではないか。

 

私に暴力的な闘争本能が見受けられないのは、私の無意識を掘り下げていくと思い当たる節がある。

私の両親は、私が中学生の頃よく喧嘩をして争っていた。その時私が自分の身を守る為に身に付けた思考の1つが「面倒臭い」である。

だから私にとっての戦争に対しての反対は、「ただでさえ人生面倒臭い事もあるのだから、余計な面倒事に巻き込まず、穏やかに生活させてくれ」という理由に他ならないのである。

 

人間の自然な闘争本能を無いものとして、争う人間は人間じゃないとか、人類の素晴らしい世界を守りましょうなんて偽善をぬかされたところで、正直そんなのどうだっていい。

私としては、穏やかな日常をさらなる面倒事で潰されてたまるか、ラブ&ピースだこの野郎、ってな訳でなのである。

 

 

 

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