現役女子大生 白石マーサが斬る!

ハイボールが好きです。ご連絡等は shiraishimaasa@gmail.com まで。

やっぱ胡散臭くない?詩織さんと山口氏の件、前川前事務次官の件。

 

世の中は“胡散臭いモノ”で溢れている。

胡散臭い物、胡散臭い人、胡散臭い話…etc。

表面上は一見立派なように見えるのだが、どうも表に現れているままに受け取ってはいけないような気がする。

一言で言うならば、いわゆる“信用ならない”というヤツで、その信用ならないモノの表面で巻き起こっていることに対して

 いくら分析しても

いくら多数の人の目に晒されても

いくら論争が巻き起こり

いくら議論がなされたところで

 その信用ならない“胡散臭さ”というものは解きほぐされることは無い。

 それどころかよりその濃度は増してしまうし、本質からどんどん離れていってしまう。

 しかし往々にして、そういう胡散臭いモノというのは人々の関心を引きつける。

人々がその胡散臭さに気づいてか気づいていないのかは定かではないが、端的で、洗練されていて、本質を突いているような、物や人や話題や言葉というものよりは、どうも、人々が本能的に「何か引っかかるぞ」と思うモノの方が、人々は騒ぎ立てる。

 

そもそも「何か引っかかるぞ」というのは言い換えれば“違和感”なのであり、“違和感”というのは「何かこれはおかしいぞ」という“疑念”なわけだ。

 信用あるものには“疑念”など抱くわけがないから、つまりそれは信用ならないモノ すなわち“胡散臭いモノ” ということになる。

 

だからいくら、レイプされた女性が名前と顔を出してエラい・エラくないとか、男が悪い・悪くないとか、前事務次官が暴露して勇気があるとか、出合い系何とかってキモいとか、そんなの関係ないだとか、アベはダメだ・ダメじゃないとか、 そういうことを人々が言ったところで、私の感じる胡散臭さはどうも拭い去れないのである。

 

 では、どういう時に私は“胡散臭い”と感じるのだろう。私は何を見て「これは胡散臭いな」と判断し、斜に構えだすのだろうか。

 

私は今、22歳なのだが、この年齢になると必然的に将来の話になる。

(以下の例え話は完全に自分の事を棚に上げて語らせていただく。なぜなら私は22歳にして大学3年生であるし、将来の見通しについては全く先が見えていないのだから)

 ゔゔん、話を戻して。

 仲間内で将来の話になると、必ず1コミュニティに1人は、「俺は海外に行こうと思うんだ」と急に言い出し始める奴がいる。

それまでは海外なんて眼中になかった奴だ。

そして、いかに日本はダメで、外国は素晴らしく、自分に日本は合わなくて、海外の文化が合っているか、という演説を始める。

 そういう事を急に言い出す人で、現状の生活が上手くいっている人間に出会った試しがない。

 聞いてみると、特に具体的なヴィジョンを明確に描いているわけでもない。ただ漠然とした理想だけがある。

 要は、今自分が置かれている現状は不満で、しかし何が原因なのかも分からない。もしくは自分に原因があるなんて思ってもみない。もしくは、薄々気づいているけれど見て見ぬふりをしている。

でも今のままじゃイヤだから、何かひとつでっかいアクションを起こして、一発逆転を狙いたい。

 私にはそう見えて仕方がない。

 これが合っているのかどうかは知らないが、

本人はそれに気づいてはいない。

 しかし、しばらくすると、「わざわざ海外に行く必要はないと気づいた」とか「現実的に…」とか言って、実際に本当に海外に行った奴は、今のところ私の周りには1人もいない。

 つまり、地に足のついていない一発逆転的な行動や発言に、私は胡散臭さを感じるのだ。

 そしてそれをする人間は、大抵現状に不満を抱いていて、自分はそんなぞんざいな仕打ちに価するような人間じゃないんだ、と叫ばずにはいられない。

 そういった、恐れや不安や不満などのネガティブな感情を、“夢”とか“理想”などといった大層なもので出来た殻で覆って、その表面上で話を展開したところで、その人の本質も出来事や現状の本当のところを知ることもできない。

 残るのは、「どうもコイツは、口で言ってることと本当に言いたいことに違いがありそうだぞ」という“違和感”だけであり、そういう部分に“胡散臭さ”を感じてしまうというわけだ。

 

 そう考えると、前事務次官と、レイプされたかもしれない女性に感じる胡散臭さにも納得がいく。

 権力のあるポストをクビにされ、急にアベ批判を始めたり、レイプ事件が不起訴になった後に急に世に出てきたり。

 それを、世の中のため、正義のため、真実のため、同じ被害にあった女性のため、政権圧力がうんたらかんたら、なんてことを当事者も含め世の中が言い出すから、おかしなことになる。より胡散臭いことになる。

 

海外に行くんだと言い出したアイツだって、

「俺、今何も上手くいっていなくて。でももっと自分を尊重し尊重されながら生きていきたいんだ。俺という人間をもっと世の中に正当に評価してもらいたいんだ。だから海外とか行って、一発逆転成功して、上手くいったらなぁ…なんて事を思っちゃうんだ」

 そう堂々と素直に言えばいいじゃないか。

 そしたらこっちだって、「そっかそっか、そういうことか」と膝を突き合わせて、耳を傾け、話をすることができる。

 

 今回の出来事も、“正義”とか“政治”とか“善悪”とかそういう大層な殻に覆われすぎて、その内側にあるモノがどうも掴めない。

でも人々が知りたいのはその内側にあるモノの方なんじゃないのか。

 今必要なのは、もっとパーソナルな言葉であり、もっとパーソナルな物語なのかもしれない。

 

そんなことを思う。